知っておきたい川柳の基礎知識

川柳に興味をもつ人が増えてきました。
川柳は、決まった形式を持つ「定型詩」の一種で、「五七五」の韻律をもつものですが、これは俳句と同様、世界で最短の詩型だといえるでしょう。

 

■ 川柳の歴史
川柳は、俳句と共に、俳諧を源流としています。
江戸時代の前句師、柄井川柳が選んだ句を、呉陵軒可有が選んで『誹風柳多留』を刊行するようになってから盛んになったため、「川柳」と呼ばれるようになりました。

江戸時代には川柳の句会がさかんに行われ、葛飾北斎など多くの有名人が、川柳を作りました。
しかし天保の改革の風俗取締りにより、川柳も取締りがされるようになり、川柳は徐々に下火になっていきました。

明治35年頃になり、正岡子規の俳句改革に影響をうけ、川柳はふたたび人気を盛り返します。
当時の文学の影響をうけ、作家の内面を歌うようになったり、またプロレタリア思想と結びついたりもしていきました。

戦後になると、川上三太郎や村田周魚など多くの作家により、「新川柳」の流れが生まれ、川柳は幅広い支持者を獲得していきます。
近年は「サラリーマン川柳」により川柳はさらに多くの人に支持されるものとなっています。

■ 川柳の定型
川柳は、「五七五」の形で構成されています。
音調と句調の切れが、五七五にきちんと合ったものを、「正格」と呼びます。
それに対し、口調の切れ目が、五七五の音調の切れ目に、かならずしも重なっていないものがあります。
このような川柳は、「変格」と呼ばれています。

 

川柳の由来について

「川柳」は、「柄井川柳」という人の名前から名付けられたといわれています。

もともと俳諧を源流とする川柳ですが、生まれたのは江戸時代。
付け句から、七七を省略し、五七五という詩型として独立することとなりました。

川柳が盛んになったのは、前句師であった柄井川柳が選んだ句の中から、さらに呉陵軒可有が選出を行ない、「誹風柳多留」を刊行するようになったからです。
これが人気を集めたことから、「川柳」という名前で呼ばれるようになりました。

この時代の川柳は、「うがち・おかしみ・かるみ」を旨とし、人情の機微や、人の心の動きを表現したものが多かったことが特徴です。
柄井川柳が亡くなって以後も、「誹風柳多留」は毎年刊行され、幕末(1838年)まで167編を数えました。

ただ川柳は、天保時代になると、迫害を受けるようになりました。
天保の改革が、「風俗取締り」を行なうようになったからです。
「誹風柳多留」も検閲が行われ、政治や賭博、好色などを題材とした川柳が、「風俗を乱す」として削除されるようにもなりました。

そこで当時の五世川柳は、川柳生き残りのため、川柳の内容を「忠孝、仁義、報恩」などの強化を目的とするものに限定するという方針を立てました。
そうなると言うまでもなく、「自由な表現」が心情だった川柳には重い足かせとなり、明治時代中頃まで、川柳は単なる言葉遊びとなり、沈滞してしまう結果となったといわれています。